日本的建築について(のつづきのつづき)
- 2020.06.24
- 建築
以前、島根県の出雲大社に行ったときにとても驚いた。なにに驚いたかというと件の大注連縄(おおしめなわ)である。いくらなんでも、こんなに大きな注連縄見たことない。圧倒されて言葉を失った。
小泉八雲の「日本の面影」を読んで日本的質素な美意識に触れようとおもった矢先に、あまりのスケール大きさに圧倒されたのだ。
考えてみれば日本列島には仁徳天皇陵はじめ巨大な遺構がたくさんある。
これは困った。
前回の方丈記から、最小スケールの質素な美を追求するシリーズにしたかったのだが、この問題をなんとかしなくては先に行けないことに気が付いた。
そもそも「質素」が日本的美なのかという疑問もある。
豪華絢爛な日光東照宮。建立当時は極彩色の旗で彩られた法隆寺の大仏・・・。
大体、「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」的な標語は戦時教育のプロパガンダである。その上、京都や奈良の寺院や仏像は、いい具合に年月が経っているから、寂れて色褪せているのが風情が良いとされてきた。そう考えると、いや、ちょっと待てよと言いたくなる。
伊達政宗の伊達者、歌舞伎へと転じたアウトローのかぶき者、もっと言おう。
ダイナミックな構図の葛飾北斎の富嶽三十六景、イッセイミヤケの直線デザイン、草間彌生の原色水玉ワールドなどなど。極めつけは岡本太郎の「発見」した縄文の爆発するエネルギー。
ぜんぜん質素でなんかないのである。
中世ヨーロッパの都市は、教会より高い建物は禁じられていた。神の意に逆らって高い塔を建てようとすると、バベルの塔みたいに雷が落ちて言葉が通じなくなるのである。いやいや、そうじゃなくって、中心に絶対的な価値基準を置くのがヨーロッパ=キリスト教の思想である。
それに対して、われわれ日本を含む東アジアの思想的基軸は「中心がない」事なんじゃないかと思う。陰陽師で有名な陰と陽。バリ・ヒンズーではバロンとナンダという善と悪。光があれば影があるという対幻想。
漢字と万葉仮名、朝廷と武士という二重権力。とにかく我々の考えや感じ方にはかならず対になる風がある。
そこで出雲大社である。出雲大社は言わずと知れた大国主命を祀る神社だ。じつはこれも対になった神様がいる。須久奈比古命(スクナヒコナノミコト)、少彦名命とも書く。一寸法師のモデルになった神様だ。大と小。
小さきものも神と崇める感覚が、鴨長明の方丈記の源流にあるようだ。
では日本の誇る極小空間の茶室の対になるものは何だろう。
次回はそういった視点で、茶室の謎に迫ってみようと思う。
佐藤 隆幸
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