住宅の神話的構造
- 2020.07.09
- 建築
テオ・アンゲロプロスの映画「エレニの旅」を観た。2012年に惜しくも他界したギリシャの映画監督である。
「旅芸人の記録」とか「ユリシーズの瞳」が有名。1シーン、1カットがとても長く、完成された絵画のように美しい。美し画像は、運命に翻弄される人々の悲劇の残酷さをいっそう際立たせる。
そんな映画監督だ。
多分、この映画の基本構造になっているのがギリシャ悲劇であることは間違いない。革命があって難民になり、戦争があって未亡人になりと、これだけ見るとただのかわいそうな物語であるけど、そうではなくて、私たちを取り巻く大きな世界の歯車に、運命に翻弄されるというギリシャ悲劇の基本構造の上に成り立っている映画である。
僕が言いたいのは、この構造についてである。
構造がしっかりしている映画は後世まで残る映画だ。「ゴットファザー」や「スターウォーズ(もちろんルーカス限定)」、小津の「東京物語」などなど。映画を構造としてみると、とても面白い。スターウォーズについていえば、ギリシャ神話、アーサー王伝説など英雄伝説の基本構造をしっかりなぞって作られている。
映画だけではない。音楽の構造、小説の構造、絵画の構造、建築の構造・・・。表現される作品には自覚的であれ無自覚であれ、その表現方法の構造というものがちゃんとある。
では、住まいの構造とは何か。もちろん、力学的な意味ではない。
住まうということの基本軸をどこに置くか。これこそ前々回から僕が展開している、鴨長明の方丈記ではないだろうかと感じている。
固定された視座、移ろいゆく世の中。考えてみれば、我々の暮らしなんか本質は何百年も変わっていないはずである。安らぎの場所(=ハレ)である住宅、あわただしい世の中(=ケ)から避難するシェルターとしての住宅。可能な限り受け身になり、そこではなにも生産しないという生活の意思が重要になる。
中村好文さんは住宅の基本を「小屋」に置いた。雨風をしのぐ小屋である。できるだけ最小単位で変な機能なんて持たせない方がいい。何かを生産する装置ではないのだから。
主人公のエレニは疲れ果てて老婆に助けられる。いかにも硬そうなベンチで横になりうわごとを言う。外は夜で、ランプの明かりしかない。しかしそのランプに照らされた室内(とても粗末な)が、ほとんど唯一の安堵の空間に見えた。
僕は思うのだけど、世の中はあまりに効率や成果を求めすぎなんじゃないか。目の前の効率や他者との比較なんて一過性のものだし、住宅に持ち込むべきじゃない。
テオ・アンゲロプロスはコーヒーを飲むのがとてもゆっくりだったそうだ。どうしてそんなに時間をかけてコーヒーを飲むのかと誰かが聞いたところ、「わたしはコーヒーを味わっている。あなた方はコーヒーを奪っているのだ」といったという。
住宅の神話的構造は、たとえ一日のうちの数時間でも、あわただしい世の中からの隠遁者になれる場所(文字どおりトポス)のことではないかと思う。そこではコーヒーが味わえるくらい時間が止まった場所であるべきだ。
佐藤 隆幸
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